競技レベルでカードゲームをするにあたって part1

まず最初にこちらの記事を紹介します。
http://88610.diarynote.jp/201106051450235475/


原文は英文で、それをリンク先の方が翻訳なされたものです。
Magic the Gatheringというカードゲームの記事ではありますが、中身はそれに限ったものではありませんので是非一度目を通してみてください。
カード名やルール的な話もほとんど出てきません。
プレイ経験の無い方でも問題なく読めるでしょう。


一応の補足をしておくならば、筆者はPaulo Vitor Damo da Rosa、MTG界における世界規模で見ても指折りの競合で、最高のプレイングを持つ男とも称されています。
記事中には他にも何人かのプレイヤーの名前が出てきますが、特にそれらを意識する必要はないでしょう。
前後の文脈に合わせて読み流す程度で構いません。もし興味が湧くようならMTGwikiというサイトで大方の事情は把握できるはずです。


今回は記事内で取り上げられた独創性と言う言葉に関連した僕なりの見解を述べます。

独創性が持つ有用性、それによってもたらされる弊害

最初に取り上げたいのは独創性の有用性についてです。
そもそも独創性という言葉自体少しとっつき難い表現で、更に明確に記せば「自らの考えで物を生み出す能力、またそうして生まれたものの持つ性質」ということになるそうですが、平たく言えば「オリジナリティ」の意で、特に難しく考える必要はありません。


独創性の持つ最大の優位性は「未知である」事でしょう。
相手が今何を考えており、自分が今から何をされるのか。
人は正体不明の物に対して恐怖を抱きやすく、慎重な攻めを意識した結果、萎縮に繋がっていきます。
これはゲームの仕掛け時を相手に委ねている事になり、膨れ上がる不明なリソースは恐怖をより色濃くします。
仮にそれを払拭し意を決した動きに転じても、それが相手からすれば全くの的外れの行動で、結果として自滅を招く可能性すらあります。
僕の尊敬するプレイヤーの言葉に「プレイングには上手いも下手も無く、あるのは正解だけ」というものがあり、それに従って考えれば、正体不明の脅威に対して正解を導き出すのはあまりに困難です。知りもしないものには何が的確かなど考えようが無いのです。
ただし、相手のデッキも当然勝つために組まれたデッキですから、動きの軌道に乗ってしまえば相手のそれが何たるかなど理解せずとも倒しきることは可能で、そこまで厳密ではありません。
大事なのは、トーナメントを勝ち抜く強豪達のプレイ精度を奇襲的要素で崩しに掛かれる事で、これは独創性に着手する上での大きな有用性と呼べます。
勝負の芽を分かつのにプレイヤーの持ち合わせる技量が大きく関与するのは疑いようが無いからです。


独創性を手掛けることで得られるアドバンテージは確かに存在します。
ですが、そのアドバンテージは必ずしも絶対的とは限らず、評価を高く付け過ぎるのは危険であるとさえ僕は認識しています。
想定されない戦略が有力な手段として働く場面が存在する事は確かですが、条件次第で効力に著しいムラがある、不安定な要素だと考えているからです。
もう少し詳しく話しましょう。最大の問題はカードの採用動機に関してです。
独創的なアイデアの多くは、ある特定の状況下で機能するものばかりです。状況を選ばずいつでも力を発揮するものであるならば、他のデッキでも広く使われているベターな選択肢のはずで、それは独創的とは呼べないからです。
そして、そうした独創的なアイデアを形にするカード群は「単体効力が小さい」「状況を選びやすい」「リスキーである」と言ったデメリットを含んでいるため一般的に使われ難く、逆にトーナメントシーンでよく見られ、一般的なデッキで使われるようなカードは「単体効果が大きい」「状況を選びにくい」「リスクが少ない」と、対照的な特性を持ち合わせています。
よく独創的なカードのマイナス評価は「安定しない」の一言に集約されますが、より明確に示せばこれらの理由に基づいています。


独創性を押し出そうとそれらの案に手を掛けると、どうしても上記問題点が切り離せず、デッキ構築の根源である採用動機の時点で欠陥を含んでしまうことになるのです。
これは後々の調整の末生じるであろう問題のテコ入れ先がデッキの根源部分に向かってしまうかねませんし、それはすなわちコンセプトの崩壊を意味しています。これを僕は「メタデッキの限界点」と考えています。
初期構想の時点から何かを意識して構築を開始すると、そうならないケースに出くわした際に著しい脆さを発揮するのです。
また独創的なアイデアは考えを共有したり問題解決に向けた追究を行えるネットワークの幅が極端に狭く、メリットの特性上それを広めることもあまり好ましくありませんから、結果として完成度に疑問が残るという問題も抱えています。
成功を収めた独創的なデッキも、それ以降の大会で大幅なチューンアップを施されたりするのが良い例でしょう。デッキの到達点はまだまだ先にあり、初めに使用された時点での完成度は不十分であったと言うことです。
想定外の戦力という強みと引き換えにデッキ全体の精度を下げているのです。
これらは前述した独創性がもたらす意表性やアドバンテージと並行して訪れる弊害となります。

独創性の価値


僕はカードゲームにおいてはゲームに勝利することこそが最重要課題であると考えていて(大抵はそうだと思うのですが)、それを踏まえて聞いて欲しいのですが、独創的である事は無価値です。
正確に言えば独創的である「だけ」では無価値です。
自分の掲げる目標の在り方にもよるでしょうが、少なくともゲームに勝利する事を考えるのであればどんなデッキを使っても勝ち抜くことが最善です。
ベスト64の完全オリジナルメタビートとその大会で優勝したジャンドデッキではどちらが評価の対象となるかなど考慮するにも値しません。
独創的であること自体は強みではなく、強さの一つの特徴として独創性が挙げられるべきです。
同じ事を言っているように聞こえるかもしれませんが、これは全く別次元の話です。具体的に言えば、強力な動きを有していながら、独創的ゆえにその対処方法が不透明である、またそこに至るまでの過程や狙いが見え辛い、というのが強さの特徴として挙げられる独創性です。
動きは大変独創的で面白いが、作り出せる状況が大したものでなかったり、工程が回りくどかったりすれば、結局それではダメです。
他人と変わっていると言うだけでは自己満足の範疇を抜け出ないのです。
自己満足の究極例はメインデッキやサイドデッキに全く意味の無い無駄なカードを何枚か挿すような行為で、これは分かりやすく無価値です。何の意味もありません。
これを見て愚かだと思う人はいくらでも入るでしょうが、尊敬したり、格好いいと考えたりする人はほとんどいません。自己満足というのは自分が思っているよりもずっとずっと虚しく意味の無いものなのです。
デッキとしての自己満足もこうした行為の延長線上に過ぎず、シビアな言い方をすれば最善の努力を怠っています。


以上が実用的な面で見る価値観の話です。
しかしながら独創性にはもう一つ、全く別視点での価値が存在します。
紹介した記事中にもありますが、それはデッキビルダー達の持つ野心のさせるところ、名売りです。
革新的なデッキ案は名を馳せるのには非常に手っ取り早い方法であり、なおかつ自分のやりたい事を直接的に表現できているので彼ら自身に大変好まれるやり方です。時にはビルダーで無い人も同じ気持ちに駆られてこうした行動に出ます。
ですが、前項の最後で述べたように独創的なデッキで成果を上げるのは大変に困難です。
前例が無いに等しい部類のものが多いのでサンプルと成りうるものが無く、カード一つ一つの採択からプレイのパターンまでを自分が先駆者となって作り上げる他ありません。
それには膨大な量のプレイテストが必要ですし、独創性を保守するためにひっそりと、あるいはなるべく限定的なテストチームを設け、集中的かつ多様な調整を繰り広げる必要があります。
(テストチームの話題はそれなりに深く、面白い題材でもあると思うので次回以降の記事で別に紹介します。)
そうして、そのデッキが実用性にたるのかの判断を付ける最後の最後まで、ポテンシャルの判別が付かないのです。
もしくはこの調整を無駄にしたくないという一心が判断を鈍らせます。

デッキ選択の重要性認識


トップに君臨するデッキ郡には多少のメタを払いのけ勝ち抜くだけの力があり、これまでに上がって来た数々の大会結果がそれを示しています。
そうした高いポテンシャルを無視した上で独創的な選択を行うのであれば、既存の選択肢を捨てるだけの利点、ひいては強い動機付けがが必要です。
またこの際デッキ的な相性やプレイヤーの技術レベルと合う合わないといったような問題は理由に入らないと僕は思います。
そうした場合であっても、実用的なオリジナルを追い求めるより、現存するトップメタのデッキを乗りこなすよう調整を重ねる方が僕は何倍も簡単だと考えているからです。(そうすべきかどうかは別として、簡単です。)
独創的でかつ実用的なデッキの開発には本当に膨大な時間を消費します。それでいて不確実なのです。
それにトップメタとされるデッキの動きや思考の置き方を内面から把握しておくことも大切で、対処を考慮するに当たっても理解を進めておくのは悪い選択ではないでしょう。
もしそうする中でそのデッキをより良くする手段が思い浮かんだりコツを掴んだりできればそれは大きな収穫ですし、そうしたことが無くともデッキ自体のポテンシャルの高さは保証されているのでリスクは極めて低く、無駄も少なめです。
仮にこの方法を捨てるのであれば、そうする方が有効だったと納得させるだけの内訳が必要になります。
選択は重要です。いかに有能なプレイヤーと言えどもスリーブに入っただけのカード70枚では1回戦を突破することさえ困難です。

現実主義でなければならない


起きた事実は真摯に受け止めるべきです。
行うべきは言い訳や保身の羅列でなく、大小の後悔と次に繋げる綿密な分析です。(後悔するなと言う人もいますが僕はむしろ推奨します。次へのバネになりますし、戒めでもあります。忘れるべきものではない。)
何がどう良かったのか、何がどうダメだったのか。
もうこの日記で何度目の記述になるかわかりませんが、言い訳や保身は何も生まないので絶対にやめるべきです。
あなたに本当に実力があり、非も無いのであれば、そんな言葉を並べ立てずとも周囲はその不幸を理解してくれるでしょう。
ただしそうでなかった場合、もしそのゲームに何かしらの改善点が見当たっているにもかかわらず、あなたがそこから目を背け、それらしい言葉を並び立てただけであれば、周囲はあなたを残念に思うだけで、逆に見放されてしまう事にもなります。
愚痴を口にする事でいくらか気を紛らわす程度なら構いませんが、自分自身を騙す様な事があってはいけません。
勝利から学び取るのは意外と難しいものですが、敗北からは多くを知る事が出来、次への糧にできます。
直接的要因が目の前に提示されたのですから、後はその解消に努めるだけで、問題はずっとスマートになりました。これはチャンスです。前向きに捕らえましょう。


独創的なアイデアと言うものは案外誰しもが抱え持つもので、参照先の記事にある通り後はそのアイデアがどのくらい実用に耐えうるレベルであるかという問題に過ぎないのです。
残念ながらあなたのアイデアも他多数と同じように、使用に耐えないものであるかもしれません。
尚早な見切りは可能性の放棄に繋がる恐れもありますが、逆に鈍すぎては無為な時間を過ごすだけです。
他人の成し得ない事をしようとするのであれば、当然他人に無い強み、イメージを的確な形で表現できるその種の才能が必要となります。
一般的な発想では一般的な結末を迎えるだけで、要は失敗です。
自分にしか思いつかなかった世紀の大発見なんて事はほとんど無く、大抵の思いつきは他の誰かが似たような、もしくは全くの同じパターンを事前に思索しており、大方既に踏み鳴らされた過去の道です。
それが未だに獣道でしかないと言うのであれば、並大抵のやり方では成立を見るのは不可能でしょう。
あなたに今それができるのかどうか、現実主義で無ければなりません。

最後に


これを読んでいる何人かは「少しマイナス方向に寄り過ぎではないか。選考会やCSでも一風変わったデッキも勝つものだ。」と考えているかもしれません。
事実でですが、その場合もう一つの事実に目を向ける必要があります。
成功者の影には数え切れないほどの敗者が潜んでいる、という事です。
それはその大会における成功者、つまりは入賞者以外の参加者と言う意味ではなく、同じように独創的なデッキを持ち込んで、成果を上げるに至らなかった人達の事を指します。
多くの大会ではトップメタと言われる類のデッキが上位を占めている事実にも目を向けるべきでしょう。王者が王者であるにはそれ相応の所以が存在します。
しかし、ありきたりなトップメタは無個性でもあります。
そんな中で時折姿を見せる独創性に皆魅了され、強烈に印象付けられるのです。
成功のイメージは焼き付きます。下位卓にゴロゴロ転がる、打ち砕かれた挑戦者群の存在は誰の目にも止まりません。
その会場にいる誰も彼らを勝たせようとはしてくれません。皆自分が勝つためにその場にいるのだから当たり前です。


独創性は可能性であり夢であり、カードゲームをプレイする上での醍醐味でもありますが、枷であってはなりません。