ゼロ的今年一年の振り返り

今日一日使ってじっくり書いていこう。


■2007年1月 「飛翔」


今シーズンのスタートとなる初っ端の一戦、グランプリ4。
受験一週間前の開催で、流石に参加は見送ることにした。
結果はたくろーの優勝。
遂に仲間内から頂点を掴み取る者が現れた。
その業績に震撼し、歓喜の声をあげる一方、どこか空しさが残った。
スタートラインにすら立てなかった事が悔しくて仕方なったから。


■2007年2月 「余韻」


2-2がリリースされ、幽霊屋敷がメタデッキとしてのし上がる。
特にイベント事はなく、退屈で物足りなさがあったように覚えている。


■2007年3月 「不安」


オープングランプリ仙台開催。
当初は参戦を考えていたものの、
翌月に控えた博多遠征を考慮するとどうにも資金の捻出が難しく、
受験が終わったばかりで調整不足も否めずに断念。
2大会連続で参加を逃し、取り残されてしまう事に不安を感じた。


またその仙台の地では上位3席を流氷が独占、圧倒的力を見せつける事になる。


■2007年4月 「現実」


GP5開催。
久々の舞台に大きな期待を寄せていたものの、当日自分の姿はそこになかった。
大学の新入生を対象とする校外での研修。
入学に際して色々と出費も重んでおり、断念せざるを得なかった。


流石に三期連続の不参加は絶望的で、ゼロに対するモチベーションは消滅。
暫くは触れる事すら辛かった。


■2007年5月 「再起」


2-3リリース。
奇跡的にスターフルーツが早急に3枚集まったので資産の限りを尽くしたブラスターを構築。
数日の時を経てオープングランプリ静岡が開催され、今度は位置・時期的にも何の問題もなく、
実に7ヶ月ぶりのグランプリ参加。
知らないカードも多く、テキストの確認を何度も求め、
大きなブランクを感じつつもなんとか上位卓での対戦を体感することが出来た。
久々の感覚にゼロに対する意欲を取り戻し、また、最終戦を二番卓で勝負しながらも10位と奮わなかった事に悔しさを覚え、
まだそういう感情を抱けるなら続けていられるなって感じた。


■2007年6月 「焦燥」


スターフルーツ1本の環境だと信じて疑わなかった中、静岡を制したのは《機械竜グラシア》を軸とした青白だった。
当然この選択にも着手するが、プレイングをまるで理解できず、随分と長い時間をかけた末に挫折してしまう。
そんな流れの中で功が新潟にて青白で優勝を飾り、身内から続々と結果を残すものが現れて行くことに焦りを感じ始めた。
また、グランプリ6まで残すところも僅かとなっているのに、
使用候補が全く固まらなかったのもその気持ちに拍車をかけた。


■2007年7月 「転機」


相変わらず使用デッキは決まらず苦悩の日々。
そんな中、オーガブログで発表された青緑に目をつける。
海洋・歌劇場を用いたベースを軸とするビートダウン型のデッキで、
好きなカラーリングという事もあり早速着手。
原型では安定感のカケラもなかったので事故要素のあらかたを排し、
独自のチューンを重ねた結果随分としっくりくる構築に落ち着いた。
後はブラスターぐらいしか使えるデッキがなかったのでこの二つに決定。
本戦は驚異の強運で切り抜け2度目の上位を体験。
選手権での負けを引きずってたから最高に嬉しかった。
決勝トーナメントは散々だったけど、色々学べて悪くはなかった。


■2007年8月 「創造」


2-4リリース。
選手権環境を担うカードプールが制定され、各々の構築力が試されることとなった。
この環境で自分が1番手掛けたデッキは赤単隊列。
今見てみてもそこそこいいものだとは思えるけど、
ララバイ・ヘルがのさばる環境に飛び込むにはあまりにリスクが高かった。


また、この環境、たくろーの作った青緑ドラゴンが頭一つ抜きん出た。
屋敷に次ぐハイスペックを兼揃えていると共に、カラーリングの一切が被らない無双っぷりを発揮。
結果、多くのプレイヤーの目に止まり、甲子園全勝の結果もあいまって爆発的な広まりを見せる。


この時、初めてゼロにおける情報封鎖の必要性を認識する。
創造の力に欠けるものはすぐに他力本願に走るし、
寄る木もなければ成り上がる術も持たない。
自分が勝つ事を念頭に置くなら、わざわざ他人に情報提供を行う必要性はなかった。


■2007年9月 「飢餓」


オープングランプリ熊本が開催され、先月の札幌に続き流氷がタイトルを掴み取る。
いくら周囲で幽霊屋敷が台頭しているとはいえ流石にここまでくると無視はできない。
着手し長いこと扱ってみるもどうにもしっくりこず、
あれやこれやと手を出しては間に合うものも間に合わなくなると思い手がけるのを幽霊屋敷に絞る。
関西方面へ遠征を繰り返し、多くのトッププレイヤーに相手をしてもらう中でプレイングを磨いた。
純粋に勝ちたいと、そう願った。


■2007年10月 「病気」


待ちに待った日本選手権2007。
前日までデッキ選択を迷い続け、最終的に幽霊屋敷・赤単隊列を使用。
ヘルを避けるべくBに持ってきた赤単がそれでもなお4回ヘルを踏む絶望。
揃わない屋敷、めくれ続けるサイレントナイトと勝利のビジョンが一向に見えず、
24点という絶望的なスコアを残して会場を後にする。
帰り道、他の負け組と嵐の中、折れた傘を放り投げてずぶ濡れで歩いた。
珍しく、凄い頑張ったのに、結局はそれも空回りで、もうどうしていいか分からず、思いっきり叫びたかった。
正直、「所詮カード」って割り切ってだらだらやってたけど、こんなにも悔しい思いをする事になるとは思わなかった。
悔しかった。
馬鹿にされるかもしれないけど、泣いてしまいそうだった。
馬鹿にされたっていいか。その時の本心は変えられないし、そんな心もあるんだって、自分でもびっくりしたぐらいだったんだ。


後で考えてわかった。行き違った目的が勝利から遠ざかる要因になったんだと思う。
本来「勝ちたいから勝つ」っていう、馬鹿正直なモットーが、「勝たなければならない」なんていう、
病的思考に切り替わっていたのが駄目だった。
勝つことでしか自分のやってる事に価値を見いだせない病気。
好きだから、楽しいから、ゼロしてるんだって、カードしてるんだって、ずっと、忘れてた。


■2007年11月 「天辺」


ツアーグランプリ開催。
いち早く選手権でのうやむやを取り消したかったから、
かなり無理やり資金を捻出して博多入りした。
デッキは自信があったし本気で優勝を狙いに行ったつもりだったけど、後1歩2歩届かなかった。
慢心からくる練習不足が原因だという事を悟り、ひどく絶望的な心境に立たされた。
そこそこできるプレイヤーだと思ってたけど、そんなのただの思い込みで、
知らない人から見れば僕らがいつも言ってるような「ジャンク」の片鱗に過ぎないんだなって。
メインに自信が持てなくなって、むちゃくちゃな心境で挑んだ岡山の成績は酷いものだった。
今までなら、「なんで勝てないんだろう」って思ったけど、原因なんてわかりきってたから、
答えが見えてる分タチが悪かった。


それから一週間。
京都の地で自己のカードゲーム史上初めて優勝の成績を収めることができた。
嬉しかった。凄く。
今までの不振な思いが一気に吹き飛んで、肩の荷がすぅっと消えた感じ。
「頑張れ」って言葉を数えきれないくらい受けてきたから、やっとその期待に答えれたんだなって思うと、
心底笑えた。嘘のない笑顔で。
翌日の名古屋大会にはとてもリラックスして挑めた。
成績はパッとしないものだったけど、不思議と楽しかったんだ。


■2007年12月 「決意」


北海道・仙台は遠征費、時間的都合で断念。
今年最後を締めくくるツアーグランプリ横浜に参加した。
「合ってない」って言われ続けたけど、どうしても使いたいデッキを使った。
指摘されたとおり、成績も散々なものだったけど、後悔はなかった。
この日の優勝者は、家始さんと、仙台2位の勢いをそのままに駆け抜けたえーじくんだった。
そろそろ追いついてきたかなって思ってたんだけど、まだ全然だった。
でも、いいんだ。
近くに、何十万、何百万も稼いだプレイヤーがゴロゴロいるんだ。
凄い良い環境に生きてる。
今は無理でも、いつか辿り着く。
今はそれでいーんだ。