2008年ランキング

という訳で今年もやります!



10位 遊戯王・関東チャンピオンシップ2009夏

バネブー・春原の2人とチーム結成。
優勝したのにあんまりいい印象がない。
そのうちの1つは予選4回戦で当たったクリッチーさんにスト負けを喫した事。
僕はこの日個人7−1、負けたのはこのクリッチーさんに対してのみ。
クリッチーさんはこの年の代表で、横に並ぶ春原もゲーム予選で世界への切符を手にしている。
自分自身の選考会は決勝落ちの次点止まりで、差を感じてしまうというか、輝きが違う。
神奈川・横浜に続く3つめのタイトルであった訳だけど、いくら非公認で勝ちを積んだところで得られるのはたかだかゲーム機1台。
こんなものが欲しくて遊戯王してる訳じゃない。帰りのバスの中、虚しさだけが心の中を埋め尽くしてた。

9位 遊戯王・近畿チャンピオンシップ2009春

ショウイチさん・ふらわぁの2人とチームを結成。
大会3日前まで前期から調整を重ねてきたトマト猫を使うもイマイチしっくり来ず。
効果を使えずにアーカナイトマジシャンに叩き割られる事が圧倒的に多く、アーカナイトの強さを引き立たせるだけの存在に思えた。
ならばアーカナイトを積極的に繰り出す構築を探るべきなのではないか。
そうした意図の元で模索した結果、回答は墓守に行きつく。
高い守備ラインは猫サモプリを引くまでの時間稼ぎにだってなったし何より強力なワンキルパターンを内包していたのが素晴らしい。
残り3日間で集中的な調整を重ね迎えた当日。
こんなデッキを持っているのは俺だけだなんて自信満々のどや顔で会場入りを果たせば、上位卓に溢れ返る墓守軍団。
同時期に奈良でも同様のデッキが発祥したらしく、その上トラゴエディアなんてものが入っていた僕のものより完成度は遥かに上。
内心恥ずかしくて仕方が無かった〃笑
それでも墓守を使っていたのは一部の連中だったから、デッキ的には勝ち組で決勝までコマを進めることはできたけれども、
決勝では読みがさえずに2択を外す場面が何度もあって惜敗。苦いスタートを切る結果になった。

8位 遊戯王・東海チャンピオンシップ2009春

前々日の神奈川選手権に続く連続した形での大型CS。
神奈川で納得のいかなかった細部を弄って臨んだこの大会、
6回戦をダットとガチンコした結果3連プレミという赤っ恥で大敗。
死にたくなるぐらい恥ずかしかった。正直もう忘れてしまいたいぐらい。
最後の7回戦こそ勝利したものの時既に遅し、8位までに設けられた予選通過ラインの遥か下を行く11位。
デッキは強かったしこの日の優勝者であるぽいずんも前日の公認大会でストで下していたから凄く後悔の残った1日。
2度とプレイングミスなんてしたくないって強く思った。

7位 ディメンションゼロ・日本選手権2009春

D-0引退を決めた最後の大会。
ただこの前のウィンターグランプリの時点でD-0には完全に愛想が尽きていて、
調整なんてものも皆無、デッキだけ教えて貰って賞金目当てに会場に足を運ぶという、
今でも真剣にD-0に取り組んでいるプレイヤーが見たら激昂しそうな、
舐め腐った態度で臨んだ、最低な終わり方だったように思います。
結局24点で迎えた最終戦、1本目を先取した後の2本目を、9割9分9厘勝利を確定させた圧倒的な優勢的状況の中で、
致命的なプレイミスで敗北なんていう、怠け者に相応しい最後を迎えました。
この大会を終え会場を去る際みんなに、「ばいばい!またいつか!」なんて言いながら手を振って、
「そんな大袈裟なw」なんて言われちゃったけど、ホントのホント、もうそれっきりなんだ。
みんな元気にしてるかな。カードだけの繋がりだなんて寂しいや。。
もっとそれ以外での交流も大事にしようって、再認識した日だったよ。

6位 ディメンションゼロ・ウィンターグランプリ

優勝者にオリジナルカードデザインの権限が与えられるという一風変わった大会。
この当時skypeチラシの裏っていう遊戯メンツ溜まり場に加えて貰ったばかりで、
その中で交流のあったシェイルをカード化させようって話で盛り上がり。
ちょうど大会の前日にチラ裏勢で集会もやるってんだからいい機会だって事で急きょ駆けつける事に。
この集会も凄く面白かったのだけれど、それはまた別のお話。
大会当日は即席構築の赤緑がぶん回り。因縁のAEGくん(笑)も打倒して単独優勝。
無事カードデザインの権利も獲得。細かいデザイン修正の話も終えて後は秋でのリリースを待つのみ……のはずだった。
ブロッコリー側から「シェイルの名は遊戯王プレイヤーのハンドルネームなので使えません」との連絡が入り、
「そのプレイヤーは知り合いですし許可も当人からの許可も下りています」と告げれば「確認が取れない」とお返事。
「では当人の委任状、もしくはそれに類する書類でも用意すればいいのか」と問えば「それでも不可」。
更にはD-0の条文に触れるだかなんだかで出場停止処分の話をちらつかされた。
この時点で完全に意気消沈。何の言われで優勝賞品が出場停止処分に取って代わるというのか。
実のところ、D-0をやめようと思ったのは賞金の廃止ももちろんあったけどこの時の出来事が一番大きい。
某所でこの事態を愚痴ったらそれに見かねた上層部とつながりのあるとある人物が接触してきて、
多少間を取り持ってもらったけど、あんまり進展が無く、僕の方から「この話は白紙の方向でお願いします」と告げてカード化の話は打ち止め。
……のはずだったのに、趣向から大幅にずれたカードを勝手にリリースされて「WGP優勝者のデザインカードだ」なんて文章を見た時は絶望した。
カードデザインは権利と称していたはず。義務とは対義の関係に当たる。ゆえに当然放棄も許容されているはず。
僕は放棄した。その上で僕の名を語ったカードプロデュースはおかしな話じゃないだろうか。
それに上で述べた某人物から「ブロッコリーサイドは電話での連絡は一切行っておらず全部メールでやり取りしてたって言ってたよ」との事。
ブロッコリーからのメールなんてD-0メールマガジンぐらいしか届いてない。それに電話も全部無かった事に……じゃあ僕は今まで一体誰と話してたって言うんだい…
色々うんざり。もう二度と関わりたくない。

5位 遊戯王・横浜チャンピオンシップ2009春

選考会期間終了間際に開かれたこの大会は選考会に向けた調整の場としては申し分ないものだった。
ちゃみ・やすさんの2人と「優勝貰いに行くかw」なんて言いながらチーム結成。
今考えてみれば関東の地まで全7回戦のトーナメントに足を運ぶなんてものすごい暴挙だったと思う〃笑
ただ期間中の好調が後押しして不思議と負ける気なんて全くしなかった。
その勢いは当日も確かに影響して、負け試合もかろうじ拾ったりで快調に勝ち昇り、
ちゃみと2人で7-0を果たし優勝。僕の2009年前期の勢いを表す象徴的な大会だったと思う。

4位 遊戯王・神奈川選手権2009春

もすと・光の3人で組んだ本大会。
これまでに臨んできたCSはベスト8が1回に3位が1回、2位が2回とあと1歩が届かないばかり。
この感覚はDMでも何度も味わってきた過程で、こんな悪循環はどこかで断ち切らなきゃいつまでたっても1番になれないって思ってた。
mixiに「絶対優勝」の4文字と強い決意を残して臨んだ当日、もすとが予選ラウンドを2-4と奮わず苦しい展開ではあったものの、
光が5-1、僕個人は6-0と調子の波に助けられ決勝トーナメント進出。
決勝の場では逆にもすとが奮闘して2-0、決勝戦で負けた僕のしりぬぐいを2人がしてくれて初優勝を飾る事が出来た。
初めて知った優勝の味。正直段違いの美味さ気持ちよさ〃笑
本当に勝てて良かった!

3位 遊戯王・神奈川選手権2009秋

いろんなものを無くした大会。
自分のプレイに対する自信だとか、読みの冴えだとか、この日の負けで大事なものをたくさん無くした。
前期からの勢いを完全になくしてしまったのはこの日だったと思う。
2回戦の対グッチ戦でのメタポの反転。あれが悔やまれて仕方が無い。
勝ち試合を2本も落として、勢いのカケラもなかった6回戦の、その日1−7、僕にしか勝てなかったプレイヤーに負けて決勝進出を逃したり、
今の状態に繋がる「最悪のキッカケ」を掴んだ大会だった。

2位 遊戯王・近畿チャンピオンシップ2009冬

2−4。今までの自分じゃ考えられないくらいの成績。
負け越し。トーナメントでの1落ちを除けばそんなのはカードゲームをやってきて初めての出来事だった。
その上チームはクレインくん・ショウイチさんを抱える最高峰の戦力。事実僕みたいなクズ成績のノロマを抱えてもベスト8までコマを進めた。
自分の無力さに苛立ちや焦り、絶望感、失望感、色んな負の感情が押し寄せて過去にないぐらいに追い詰められた。
何よりも嫌だったのはベスト8の試合の時、自分の試合を落として横のクレインくんがまだ試合をしていた時、
「もうこれ以上惨めな負けを重ねるぐらいならいっそここで終わってしまいたい」って思ってしまった事。
一瞬でもチームの負けを願った自分がクズに思えて仕方なかった。すぐにそんな思いを振り払って挽回のチャンスを願ったけれども、
現実は非情でクレインくんも負けてしまって、2009年最後のCSは終わりを迎えた。
こんなはずじゃなかった。いつだって頼られる側だったから、チーム戦の怖さなんて知らなかった。

1位 遊戯王・西日本代表選考会

僕が昨年9月ごろから本格的に遊戯王を始めたのは、ぶっちゃけてしまうと「世界大会に出たかった」からだった。
D-0が衰退し始めて、僕が代わりのゲームを探し始めた時、「どうせ一番を目指すなら世界レベルの頂点があるものがいい」として、遊戯王MTGの2つに着手した。
MTGは半年ほど手をつけてみて、上位陣との格差に絶望した。多分そのレベルまで勝ち上がるには短くて2,3年、長ければ4,5年の期間は必要だと感じた。
いつまでカードゲームをしていられるかはわからないし、社会人になれば割ける時間は大きく減るだろうから、数年単位の長期的な姿勢を取る事は出来なかった。
20を過ぎた僕の年齢ではある程度現実レベルでものを見ていかなければならなかったし、その中でも僅かな希望を夢見るなら遊戯王だと判断した。
幸いなことにそれまでちょくちょく顔を出した非公認大会では上位成績を収めていられたし、カードもMTGに比べれば安価であったから。
更なる幸運として、僕の思考が異常なまでに当時の環境と適合したのも大きかった。
いくつかのCSで上位を獲得できたこと、期間中勝率約8割をキープできたこと等々、流れが完璧だった。
そんな流れの中で、勝てなかった。決勝戦でタイチさんに負けたあの悔しさは、もう随分忘れられそうにない〃笑
正直あの日負けるなんて思ってなかった。自分以上にこの環境で勝つための術を持っている人なんて絶対にいないと信じていたから。全てが自分の流れにあると信じていたから。
世界に行きたかった。来年は就職活動に卒業論文もあるし、この世間的事情では、その合間を縫って選考会予選に勤しむなんて事は到底できそうにない。
きっとこれが最後のチャンスだった。残念だけど、それもまた一つの思い出。